10年後の自分


 今年は西暦2000年.あと10年したら2010年になります.今,僕は22歳.あと10年経つと32歳.32歳になったとき,僕は何をしているんやろうか.まったく想像がつかないなぁ.

 今までの人生は,ある程度予想できていた.小学校に入ってから,将来どういうことがしたいかということがはっきりと決まっていた.だから,小学校の卒業文集に書いた10年後の自分が,まったくそのままに実現できている.ちょうど今がその時から10年後やからね.ほんとは,卒業予定やったけど,それは狂ったにしても,自分の進路は予定通りに来ている.怖いぐらいに.でも,これからの先の人生がまったく読めない.自分でも.何をしたいのかもあやふやになってきた気がする.本当に今のままでいいのか,意地になってるだけと違うのか,いまいちはっきりしないのです.今までこんなことはなかったからね.大学に通っている自分の姿は想像できたけど,働いたりしている姿は想像できない.まさしく今は暗闇をさまよっている感じです.

 それはなぜか.転機は留年したときからかもしれません.良い意味でも悪い意味でも,時間ができて,いろいろ考えるようになって,冷静に自分を認識するようになった.そして,自分の能力の限界も感じ始めた.あきらめとかじゃなくて,わきまえ.今までは,自分にはまだまだ可能性があると思ってた.無限の能力が秘められているとどっかで思ってた.やればできるみたいな.でも最近はちょっとその先にある壁が見えだした.

 だからって,悲観的になってはいない.むしろその壁をぶち壊そうと思って努力している.アメリカに行ったのもその思いがあったから.普通に過ごしてたら普通に時が過ぎていきそうやったから.アメリカに行ってまったく違う日常を過ごして,すごい刺激にはなった.これは自分の人生設計の予定にはなかった行動やったから.だからますます先が見えない.なんでもありな気がしてきた.

 整然とした人生よりも,少々エントロピーの高い人生の方が面白い.それなりのリスクもありそうやけど.結局,今の時点で先が見えないということは,僕も学歴社会に溺れてしまっている証拠かもしれない.世間では進学校といわれる中学に入って,高校を出て,世間では難関といわれている国立大に入って・・・大学を出ると一流企業と呼ばれるところにステータスを求めてしまうんやろうか.なんかの看板を背負う為に生きているにすぎないんやろうか.いろいろ挑戦しようとは思っても,あるレールから踏み外すのが怖い自分もいる.

 何かの看板を背負ってそれに頼らなくても,自信を持って生きていける確固たる“自分”というものの存在を築きたいと思う.日々葛藤です.

  



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