寛容かルーズか


 今日はNHKの教育番組で英語のディベートみたいなのをしていた番組がありました.ちょっと面白そうと思って見ていたんですが,そのときのトピックが,“Why do Japanese put up with public drunkenness ?”というものでした.なるほど,確かに言われてみればそうです.日本はあまりにも酔っ払いが多い.アメリカでへべれけになったおっさんを見たことがないし,酔っ払いを街で見かけることもほとんどなかった気がします.向こうで,フラフラしとったらそれはドラッグのせいである可能性のほうが高いし.

 んで,議論の内容は,とにかく日本人は飲酒に対して寛容である,それが転じて,日本人というものは何事に対しても寛容で,我慢強いというものでした.

 飲酒年齢についても.日本は未成年の飲酒に対して非常に寛容(?ルーズ?)である.自販機で誰でも買うことができるし,IDもいらない.確かにね.この僕でも,アメリカでは毎回IDの提示を求められました.それに反論した日本人女性.「日本においては飲酒に限らずいろんなことの選択が,それぞれのモラルにゆだねられているから,飲酒の販売も寛容である.」と.あーあ,言っちゃったよ.これだけモラルの無い国も珍しいのに・・・

 モラルの無いことが良い悪いじゃなくて,現実に今の日本にモラルは(あんまり)無い.なんでか?宗教がからんでないから.(昔は村社会があった.)まあ,これについてはだいぶ前にこのコラムでも書きましたが.

 今回言いたかったのは,この題でもあるように寛容かルーズかということ.アメリカは未成年の飲酒にかなり厳しいし,タバコもかなり厳しい.日本はそれに対して,寛容なのか,ルーズなのか.これは結構難しい.アメリカは厳しいといったけれど,アメリカはその厳しさがたびたびヒステリックになる.禁酒法みたいに.タバコも公共の場所ではほとんど吸えない.うーん.

 で,やっぱり僕はこの結論に行き着いてしまう.日本は絶対に寛容なんかじゃない.“なあなあ”なだけである.そこまでぐちぐち言わんでもええやん,という馴れ合いの体質がここにも垣間見える.昔は村社会で共通の規範があった.仲間内では以心伝心で,口に出さんでも通じ合う.その代わり外部に対してはかなり厳しい.そんな国民性の国で,現在,村社会も(都市部では)崩壊し,未成熟な個人社会になってきて,周りに対して,厳しいというよりも無関心になってきた.でも元来の性分である,馴れ合いの体質は抜けない.都合の悪いことはいちいち詰めて議論せんでもええやんって.もちろんアメリカではそんな感覚は理解されない.お互いに共通の規範でしっかり縛られるのはいややけど,なんとなくみんな分かるやろ?みたいな.繰り返しになるけど,これは決して良い悪いの問題じゃない.国民性の問題.

 だから,寛容かルーズかといったらルーズなんでしょう.でも,“なあなあ”って言うのはほんと,日本人の特徴をよく言い当ててると思う.国民みんなが運命共同体であった“神の国”時代の遺産なんでしょうかね?

 


 

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