死の宣告


 もし,あなたが不治の病におかされているとしたら・・・例えば,ガン.あなたはガンの宣告をしてほしいと思いますか?それとも,知らせてほしくないですか?ガンの宣告.今の時代では死の宣告にも等しいガンの告知.あなたはそれを受け止めることができますか?

 たいていの人は,ガンにかかっていたらちゃんと告知してほしいと思うでしょう.もちろん患者の知る権利もあるし,それもひとつの方法です.きちんと自分の病状を知った上で,残りの人生なりを有効に有意義に過ごしたいと思うのは当然です.僕の感ではほとんどの人はそう思ってんのと違うかな.違う?僕もそう思ってる.いや,思ってたといったほうがいいのかな.と,いうのも,現在僕は一応健康で死に対する恐怖も実感も無いからです.

 仮に,本当に自分がそういう病気に直面したとき,その宣告を受け入れて,平静でいられるでしょうか?僕はその自信がない.有意義に人生を過ごしたいとか言っときながら,いざ宣告されると,恐怖におびえ,自分を失い,有意義どころか毎日が死の恐怖にさらされ,それを取り巻く身内にも相当な負担をかけるんではないかと思うんです.逃れようのない現実が,死が刻々と迫ってくるのです.僕はそれに耐える自信がない.それならばいっそのこと何も知らずにぽっくりといったほうがいいのではとも思うのです.でも,やっぱり知りたい気もする.

 やっぱり,これは大変にデリケートな問題です.画一的にガンの告知はするべきとは言えないんです.ガンの治療にしてもそう.ガンと診断されて,それからは抗がん剤など薬漬けにされ,生きているとも言えない状態で命を少しでも長らえようとする.そんなのはいやだ,そこまでして生きたくない積極的治療はいらない,という人も多いはず.確かにそう.そんな状態で生きても仕方がないってね.でも,家族にとって,その人がたとえどんな状態であれ心臓が動いていて生きている間は,奇跡を信じ,かけがえのないその人の存在を支えに生きているもの.だからそう簡単に結論は出せない.病気の苦しみはその当人にしかわからない.ただ,それを支える家族の苦しみも計り知れないもの.それらをすべてひっくるめて考えると,ますますどれが最善の方法か分からなくなる.どうどう巡りになってしまう.

 テレビでは最近,ガンと告知されると保険金を一括支給するという保険がよく宣伝されている.ガンになるとなにかと医療費がかかる,それを保証しようというもの.でも,その保険に入って支給を受けようとすると,当然本人にもガンであることが分かってしまう.今,その保険に入る人は健康だから当然その金をうけとって有効に使おうと思っているだろう.でも,実際にその状況になると,果たして受け取る決断を下すことができるのだろうか?あの保険に入る人はどういうふうに考えているのだろうか?

 誰もが,自分はいさぎよく死にたいと思っているはず.でも,誰もが生に執着し,死に恐怖するのもまた真実.高齢化社会に向け,ガンに限らず老人介護や様々な問題が山積み.命の尊厳をどう捉えるのか.僕にはまだまだ結論が出そうにない.

  



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