相対と絶対


 この前テレビで,やまんばの特集をやってました.やまんばといっても,コギャルのガン黒の化粧のことやねんけど.知ってるよね?僕は知らんかった.僕はもともと色が黒いと思っててんけど,あれは塗ってるんやね.すごいわ.そのテレビでもしきりに話題になってたのが,彼女たちの美的センス.大抵の男の人や,大人たちは一様に気持ち悪いとか,可愛くないという意見を言っていた.それに対して,とうの彼女たちはめっちゃ可愛いとか,(気持ち悪いといわれても)全然気にしないという意見が大勢を占めていました.

 僕の意見を言えば,あんなもん化けもんとしか言いようがない.ただ,これはあくまで僕の意見.ひとつの価値観でしかないんです.彼女たちには彼女たちなりの価値観があって,それに照らし合わせれば,やまんばルックも理にかなった自己主張のひとつになるわけよね.

 別にここで,コギャルについて語りたいわけではないんです.アメリカ行っても考えさせられてんけど,そうでなくても常に僕を悩ます?のは価値観というもの.それも,相対か,絶対かという観点で.例えば,先にあげた両者の価値観は当然相対的な価値観です.どちらも,それぞれの好み,主観に基づいた価値観で,普遍的なものではない.ただ,彼女たちの価値観はまだ世間的に少数なわけで,それゆえに異端視され,さも非道徳的なことのように言われる.でも,僕たちの価値観だって絶対ではないわけで,それで他の価値観を否定するのもどうかなと思うんです.

 いわゆる世間一般の価値観や理念というものは,政治や教育によって,物心つく前から,いやおうなしに植え付けられてきたんです.もちろん後天的な要素やから,政府がひっくり返ったり,教育理念が大きく変わったりすると,当然価値観も大きく変わる.戦前と戦後みたいに.

 でも,昔はコギャルはいなかったし,今みたいに若者の崩壊ぶりを問題にすることもなかった.バブルがはじける前までは,日本は成長一辺倒で,とにかく,豊かになろうという日本国民全体のスローガンというか,共通で非常に強力な価値観があったよね.さもそれが絶対かのように.だから,ちがう価値観なんて考える余裕もなかったわけ.

 そんなときに,バブルがはじけ,今までの価値観が崩れたときに,みんな困ってしまった.やっぱり絶対の価値観ではなかったと.そして,いろんな価値観が出てきた.ある人は,人と人とのつながりが希薄になったというけど,僕としては,それぞれの価値観を認め合うようになった結果でもあると思う.無関心という側面ももちろんあるけど,変わったことを他人がしてても,それもひとつの価値観であると理解するようになってきた.昔であれば,近所のおっさんやなんかに注意され,地域社会共通の価値観を叩き込まれたことが,今ではない.

 でも,依然として,旧態依然とした価値観は根強く残っているわけで,いわゆる学歴社会であるとか,そういったものが典型.若者の中にはそういった価値観を否定して,新たに自分自身の価値観を見出して,周りから非難されようが,着実に自分を貫いていきる人がでてきた反面,従来の価値観を否定はするんだけど,それに変わる価値観を見出せないまま,悶々と生きている,あるいは生かされている人もいる.京都の小学生殺害の犯人なんかも,そうじゃないのかなと,僕は思う.

 アメリカに行って痛感したんやけど,こうした問題(価値観の相違)が日本で悲劇的なのは,やっぱり日本が島国で,単一民族(正確にはちがう)の国家だからだと思った.アメリカは移民の国で,それこそあらゆる民族がいる.民族が混沌とした国家で,唯一の共通の価値観は連邦法ぐらいなもん.だから,価値観は違って当たり前.だから,異なった価値観の存在を比較的慣用に許す風潮がある(差別とかやっぱり深刻な問題も多いけど).日本は,みんな一緒が当たり前だから,少し外れた人は,とことん仲間はずれにされる.それに打ち勝ったのが,初期のコギャルかな.今では,コギャルもだいぶ主流化しているからね.だから,ある意味初期のコギャルは偉大.

 じゃあ,この世界に絶対的な価値観は存在しないのか?皆さんどう思います?僕は,無いと思います.例えば,『人を殺してはいけません.』という価値観.ほとんどの国は殺人を法律で規制しているけど,どっかの民族では,悪いやつ(彼らの価値観にそぐわないやつ)は生かしておくよりも,殺した方が,みんなの為になるし,結局はそいつ自身の魂の浄化にもつながるんだ,という考え方があるかもしれない.でも,それもれっきとしたひとつの価値観なわけで,むげに僕らが否定することはできない(と僕は思う).

 そう,だから,捕鯨を否定する,それも鯨は高等な哺乳類だというわけわからん理由をぶちかます,欧米諸国は価値観のぼうとくもはなはだしい.そういうところに,アメリカのピューリタニズムが見え隠れする.

 最後に話がいきなり飛んだところで,今日は終わりにします.

 



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